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Profile

のせたかこ 東京都出身。2017年より京都から鹿児島県・徳之島移住。

アーティスト

宇宙、地球、自然、人間、生物をキーワードに、繋がりを主なテーマとして絵画を中心に表現活動をおこなう。2011年東日本大震災がきっかけで、オーストラリアのアボリジナル先住民の精神文化を学びに渡豪。アボリジナルアーティストと交流しスキンネム'Napanangka'を授かる。帰国後はアボリジナルアートワークショップを通しアボリジナルの精神文化や歴史、魅力などを伝えている。

同時に、震災以降『環境教育』の重要性を強く感じたことから、こどもから大人を対象とした『環境共育』を兼ねたアート×自然観察会の企画・実施する。
自然観察会をとおして身近な自然から、いのちの繋がり(循環)、自然の不思議や魅力を見いだすちから、想像力/創造力、自然を愛でる心をともに育み、自然保全につなげることをねらいとする。

 

2018年より、藝術×環境×福祉の3つ軸とし、誰もが想像・想像することを楽しみ学べる空間づくりを目指し『森と海の藝術楽校』を立ち上げる。
森と海の藝術楽校HP:https://moriumiart.amebaownd.com
 

 絵を描くことは、生きること。呼吸することと同じこと。

わたしの魂の源にあるもの。

Takako Nose  Born in Tokyo, Japan.  Artist.  

 Main theme is connection to the Space, Earth, Nature, Biology, Human.


In 2011, I had a time to relationships with Aboriginal Artist and they gave me a Skin name 'Napanangka' for me. 
After I came back to Japan, I am looking for opportunities to spread the Aboriginal culture through Aboriginal Art workshops. Also I started having an interest in (global) environmental problems cause Fukushima nuclear power plant accident were made me feel the importance of Environment education. For that, I do the nature observation meetings adop the Art for develop their imaginations, creative power and heart to love the Mother Land.

I feel deep gratitude to connection  microscopic organism to the earth and us. I express my feeling through my Art works.

In 2018, I established "Mori to Umi no Geijutsu Gakkou (School of Arts and Crafts of the Forest and the Sea)" and has been working on production activities while planning and managing the school.

 

'Mori to Umi no Geijutsu Gakkou '

HP: https://moriumiart.amebaownd.com

To create art works is to live. It is like breathing.

It is the source of my soul.

I would like to work to protect the world's natural environment and the spiritual culture of our ancestors from this "Miracle Island Tokunoshima" while communicating and conveying the charm of the natural world, including Tokunoshima, thought my art works.
My ambition is big. My activities start from our feet. What we can do.
What we want to do. 

My history

■2004〜2006(+はじめて描いた絵 For the first time drawn picture)

 

純粋に描くことを楽しめていた頃

 

①はじめてかいたえ(幼稚園児)
②昼下がりの午後(91㎝×72.7㎝/油絵)
③頭でっかちな女(54㎝×39㎝/紙、鉛筆)
④次こそ決める(54㎝×39㎝/紙、鉛筆)



◇2004〜2006(+ For the first time drawn picture)


In this period, I enjoyed the most to draw and painting purely.


①The fist time art work when I was a kindergartener.
②In the afternoon(91㎝×72.7㎝/oil on canvas)
③Armchair theorist(54㎝×39㎝/pencil on paper)

④I get it!(54㎝×39㎝/pencil on paper)

■2007〜2010

「ベトナム戦争博物館」

 

この年代、大きな変化がありました。きっかけは2ヶ月かけて、友人とアジアを旅したときに行った、ベトナム戦争博物館でした。この博物館でみた、ある一枚の写真がわたしと作品を変えました。
その写真は、二人のベトナム青年が首を切断され、その青年の首と胴体の回りで4〜5名のアメリカ兵が座って笑顔でピースをしているものでした。(その博物館には、枯れ葉剤の影響をうけて生まれてきた赤ん坊のホルマリン付けや、残虐な写真など多数展示されていました)
その写真を見たとき今まで感じたことのない程の強い怒りが込み上げてきました。と同時に、『戦争』というのがここまで人を残酷にさせてしまうものなんだと、戦争の恐ろしさ深く感じました。
博物館の外で、怒りが収まりきらず1人ワナワナとしていると、一緒に旅をしていた在日朝鮮人の友人が「でも日本人だって同じことをしてきたんだよ」と涙目でいいました。
わたしはこの博物館にいくまでは、戦争は残酷なものだということは、漠然と知っていました。しかし、ベトナムという地で生々しい様々な戦争の

展示物をみたときに、初めて戦争が『悪』だということを理解できたような気がします。

そして今まで自分がどれだけ無知であったのかということに気付かされました。同時に、友人の一言で、日本がしてきた過ちもきちんと把握しなければいけない、なぜ戦争は繰り返されるのかも知らなければいけない、と深く反省しました。その後、戦争をテーマに絵を描くようになりました。

 

生きたくても

生きれなかった青年。
 

どんなに怖い思いをして殺されていったのか。。

 

そんな理不尽な出来事がこれまで幾度も繰り返され、そして今もなお、繰り返されています。

 

①縄文杉(162㎝×130㎝/油絵)

②③④無題(145.5cm×112.1cm/油絵)

 

 

◇2007〜2010


In 2007〜2010,I have changed in my mind after I went to Vietnam War Museum.
I deeply understood that war is such a hateful and cruel things.
Also, I felt so strongly that I have to know the mistakes of the past what Japan did too.

 

1.Jomon-sugi (162㎝×130㎝/oil on canvas)
2ー4. no title (145.5cm×112.1cm/oil on canvas)

 

■2011

「2011年3月11日東日本大震災」

 

 

「2011年3月11日東日本大震災」


 またしても、自分と作品が変化する大きな出来事が起きました。東日本大震災です。

震災後、毎日のように被災地や被災者の避難所での状況がテレビで流れました。いてもたってもいられなくなり、またこの現地の状況を、自分の目で見る必要があると直感的に感じ(アジアの旅で、メディアを通して知るイメージ化した現地と、自分の目で直接見て感じることの大きな違いを感じていたため)、岩手県宮古市にボランティアにいきました。現場は今までみたことのない光景が広がっていました。荒野に巨大な船がひっくり返っていたり、車が家の上に乗っかっていたり、写真や子どもたちのおもちゃが至る所に瓦礫とともにありました。その瓦礫も3m以上あるところもありました。避難所とされていた学校の体育館内は、被災者たちが段ボールを仕切りにして、大人も子どもも、おじいちゃんもおばあちゃんも、一つ大きな屋根の下で過ごしていました。自信の身内を亡くしていながらも、他者の為に懸命に活動する方々がいました。
そして、福島原発事故。原発の危険性に全く無知であったわたしは、原発の恐ろしさを知りました。
ボランティアを通し、肌で感じた自然の脅威、原発による人々や環境への影響、恐怖。これらが、わたしが絵を描くことを停止させてしまいました。
わたしは今までなぜ絵を描いてきたのか、絵を描くことが一体何になるのか、何に繋がるのか、などこれまでの自分が続けてきた活動に対し自問自答することが多くなり、無力さを感じずにいられませんでした。
この年筆をとることはありませんでした。
わたしは弱い人間だなあと認識しました。
そして、今までの自分を一度リセットしたいと思いました。
自分の生活、絵の制作の全て。

 

 

◇2011

 

「Great East Japan Earthquake on 11 March 2011」

 

In 2011,I couldn't paint anymore, after the Great East Japan Earthquake on 11 March 2011.
I did volunteer with Miyako Council of Social Welfare stuff.
At the site was more cruelty than television.
The real sight, air, people was make me realized that miseries a earthquake and tsunami cause.
One of a volunteer stuff who is also victim and she lost the relative three people.
but she never to whine with say ‘I still have a house and I alive’’and she was taking care for another victims.
The Fukushima nuclear power plant accident was also I felt lot of things about the coexistent with nature.

We have been arbitrarily interfering with and damaging nature, and now we are getting our own back by bringing a variety of calamities down on them.


After the earthquake,I asked to myself many times over ''Why I to paint? for why?'
I lost my way,and I stopped to paint in this year.

 

and then,I went to Australia for to see Aboriginal Artists to learn Aborinal spirits  and soul through Aboriginal Art.

 

 

 

■2012〜2014

 「一から出直そう」、そう考えたわたしはオーストラリアのアリススプリングスに向かいました。アボリジナルアーティストに会いに行くためです。

オーストラリアのアボリジナル文化は、地球上で最も古い歴史を持つと言われています。自然を敬い、自然と共存しながら脈々と語り継がれてきたアボリジナル文化を、彼らのアートを通し、そのsoulやspilitを学びたいと思ったのです。

 

 世界的に有名なアボリジナルアート。わたしが初めて生で目にしたのは2008年に国立新美術館で開催された「エミリー・ウングワレー展」でした。その作品群は、生命力に溢れ、土臭く、人間くさく、力強く、スッ〜とか、ドカンっ!と体で感じる絵ばかりでした。

アリススプリングスに着いてからは、彼らと話がしたい、そう思い彼らの描く絵を購入したり、公園に座っている彼女らの隣に半日無理矢理居座ったりしました。なんだこの子は。。と思ったに違い有りません。

「アボリジナルアーティストとの出会い」

そして幸運なことに、彼らの制作現場であるアートスタジオにて、制作アティスタントとしてボランティアを6ヶ月することができました。21世紀を生きるアボリジナルの人々は、勝手に自分がイメージしていた様子とはギャップがあり、それがまた色々と感じさせられましたが、彼らの文化はアートを通し、今も確実に受け継がれていました。そんな彼らとアリススプリングスの大自然から沢山のエネルギーを受け、また絵を描き出しました。描くというより、ひとつひとつ彼らのようにドットしていきました。アートスタジオから戻ってから、宿の庭で、ひたすらドットをしていました。今生きていること、人間以外の生物たちへ、ひとつひとつ、思いを込めて丁寧に。。。ここアリススプリングスでの出会いや経験が、いまのわたしの原点とも言えます。誰より感謝しているのは、この機会を与えてくれた、二人のギャラリーのオーナ夫婦です。感謝してもしきれないくらいです。

 

◇2012〜2014

 

「Aboriginal Artists」

In 2012〜2014,I went to Australia at Alice springs for learn Aboriginal Art.

My purpose was to learn of Aboriginal people's spirits and soul what is coexistence between people and nature through art of them.
Kit and Vanessa gave me a chance for it, so I was able to have a precious experience at Aboriginal Art studio of Kit and Vanessa.
This experience is got back to the grass roots of my mind and art works.
I can't thank you enough to Kit and Vanessa!!!!!

 

■2015〜

オ−ストラリアにて、アボリジナル先住民より’Napanangka(ナパナンカ)’というスキンネームを授かり、日本に戻ってからは自分の制作活動&発表のほか、アボリジナル文化の啓発のため、機会をみつけてアボリジナルアートワークショップを展開しています。
また、福島原発事故を大きなきっかけとし、環境問題について関心を持ちはじめたことから環境教育の重要性を認識するようになった今、こどももおとなも自然をとおし、命の繋がり(循環)、多様性、発見、想像力/創造力、発想力、自然を愛する心を共に育んでいくことを目的に、アートを取り入れた自然観察会なども企画しています。


等身大の自己表現であるアート表現や作品づくりから、母なる大地である、地球とわたしたちがうまく共生していくための微力ながらの活動は、私の中ですべてが繋がっておりとっても大切にしていきたいことです。
 
目に見えない微生物から宇宙までのつながり。
 
すべての繋がりに感謝をし、一つ一つ丁寧に、日々ドットしていきます。

「繋がり」

◇2015〜

「Coexiestence」

Aboriginal Artist gave me a Skin name 'Napanangka'. After I came back to Japan, I looking for opportunities to spread the Aboriginal culture through Aboriginal Art workshops. Also I started having an interest in (global) environmental problems cause Fukushima nuclear power plant accident were made me feel the importance of Environment education. For that, I do the nature observation meetings adop the Art for develop their imaginations, creative power and heart to love the Mother Land.
I feel deep gratitude to connection  microscopic organism to the earth and us. I express my feeling through my Art works.

■2017〜

鹿児島県の離島「徳之島」移住

「海と山に囲まれた、もっと自然に密接した生活を送り、絵の制作にゆっくり没頭したい。環境保全活動や環境教育の活動もしていきたい」。そんな想いをずっと描いており、タイミングが重なり念願の大自然の離島に移住することになりました。

移住後3年間は、天城町の地域おこし協力隊として教育委員会に着任。理由は山海留学制度の立上げ支援という、
子どもと自然を繋げる一端を担う、非常に興味深い業務内容だったからです。同時にこれまで続けてきた絵画を中心とした表現活動や、アートワークショップ、アートスクール講師の経験を生かし、芸術分野の積極的な導入と関わり、自然環境保全活動、環境教育、エコツーリズムなどなどにも力を入れ、携わらせていただきました。その最中、「森と海の藝術楽校」という藝術✖︎環境✖︎福祉の3本柱を軸とした誰もがクリエイティブに想像/創造することを楽しみながら学ぶ地域に根ざした楽校を開校しました。
 
2024年現在 絵の制作を主に、他森と海の藝術楽校活動、環境保全活動(希少野生動植物種保護他)の活動をしております。

わたしにとって、絵を描いて表現することは息をすることと同等の「生きること」。

その他の活動は、人や自然と関わりを持ち、とても直接的なエネルギーと栄養の補給。そしてそれを感謝の想いを感じながら還元すること。

全部繋がっています。

離れていても日々支えてくれている家族、そして島の方々、見えないけれど見守ってくれているご先祖様、大自然の力
全てに感謝しながら徳之島の日々を過ごしています。




 
 
I would like to live a life more closely connected to nature, surrounded by the sea and mountains, and to slowly immerse myself in the creation of my paintings. I would also like to be involved in environmental preservation activities and environmental education. I have always had these thoughts in my mind, and the timing was right for me to move to a remote island with great nature, which was my long-cherished dream.
 
For three years after moving to Amagi, I worked for the Amagi Town Board of Education as a member of the Regional Development Cooperation Corps. The reason for this was to support the establishment of the study abroad program in the mountains and seas.
This was a very interesting job, as it involved connecting children with nature. At the same time, I was able to make use of my experience as an instructor of art workshops and art schools, as well as my painting and other expressive activities, to actively introduce and engage in the field of the arts, and to focus on nature conservation activities, environmental education, eco-tourism, and other activities. In the midst of this, I opened a community-based school called "Mori to Umi no Geijutsu Gakko" (Forest and Sea Art School) where everyone can enjoy and learn to imagine/create creatively based on the three pillars of art ✖︎ environment ✖︎ welfare with a view to independent activities after the term of the cooperative.
 

For me, to create art works and expressing myself is as much a part of "living" as breathing.
 
Other activities, such as interacting with people and nature, provide me with energy and nourishment in a very direct way. And I give it back to them with a sense of gratitude.
 
It is all connected.
 
My family, who support me every day even though we are far away from each other, the people of the island, my ancestors who are watching over me even though I cannot see them, and the power of nature.
I spend my days in Tokunoshima, thankful for everything.







 


 


 

☆2017〜

Move to "Tokunoshima", a remote island in Kagoshima Prefecture

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